手を繋ぐ

 
 
 
気づけばこんな遠いところまで、ふたりで歩いてきてしまったな、とふと思う。
 
 
 
 
先月、付き合って5年を迎えた。5年という月日について言及したいつもりはないが、私たちは遂に22歳なのである。22歳、ともに学生であったなら大人の仲間入りという意識を持たずに済んだのかもしれない。まだ1年もモラトリアムが待っている21歳と、社会に出て荒波に揉まれる21歳とでは雲泥の差があるようにも思う。彼は何も考えてないそうなので、この「学生と社会人の時間のあり方」についてぶつかることなくここまできたけれど、今後ぶつかる可能性がゼロとは言えない。
 
 
 
 
 
 
この間少し将来についての話をした。私はどこに勤めるのか。職務上彼は埼玉から出ることができないこと。結婚適齢期のこと。貯金のこと。共に暮らすことの難しさ。
 
 
 
 
高校時代に話していた「2人の将来」は、なんだかぼやけていて、好きでいればなんだって乗り越えられる気がしていた。今はもうずっと現実的で、なにを話すにしても貯金がどうだの、勤務地がどうなの、で議論を交わす羽目になる。言わずもがなもうそんな年齢なのだろう。
 
 
 
 
 
別れの危機に直面することもそれなりにあれど(多くは私の勘違いによるものだが)、いつの間にかこんな遠いところまで来てしまった。年齢も二十代の大台にのった。5年という月日は、一見大したことがないようではある。しかし実は小学3年生から中学二年生ほどの月日が開くことを意味する。休み時間はドロケイかドッジボールのどちらをやろうかな…ということしか頭になかった9歳が、大人は信用ならず興味あるものは異性だけというポンコツみたいな思春期を迎える14歳になるほどの月日なのである。
 
 
5年もあれば人間も環境も変わる。高校時代はほぼ毎日会えていたところから一変して 週末しか連絡が取れなくなった訓練校時代。勤務してから重大事件が管轄地で起きるなど、職の特殊さをひしひしと思い知る日々にもぶつかった。乗り越えなければならない壁のひとつとして彼の就職があったと思う。乗り越えたかどうかはさだかではないが、今度は私の就職が大きな壁としてやってくるのだろう。やっていけるだろうか、果たして。
 
 
 
 
あまりぶつかりあいたくないとは思いつつも、どうも金銭の話など生々しい話になると途端に余裕がなくなる。だが避けては通れない道でもある。
 
 
人生において、誰かとともに歩むという決意をする時に大事なものは、”議論と理解、ときどき譲歩”の中にあると思っている。育った環境も考え方も好きな味噌汁の具さえ違う相手と同じ方向を向いて歩くことは、ただしあわせはっぴー!なだけでは決してないはずだ。相手の人生をまるごと背負うこと。私に、そして彼に、それができるのか否や。
 
 
 
 
 
普段は穏やか(と自分で言う)な2人とはうってかわって、ある意味で激論を交わす時間を、私は心の底から大切にしたいと思う。そして、思い描く未来に繋ぐために、彼が私を好きでいてくれる今この時を大事にしたい。
 
いつか別れるときがきても後悔のないように、とはいっても後悔はつきものだろうか。別れも長続きも半々、あまり深く思い悩むことなくこれからもいけたらいいな。私の性格上無理かな。まあいいか。なんでもね。やっぱり未来のことなんて博打のようだし、何が起こるかわからないということで。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼の実家へ泊まった日のこと。
2人して眠りに落ちる直前、「このまま別れちゃう気がする」と私が言う。「別れないよ」目を瞑りながら彼が言う。「でもずっとは付き合ってはいれないよね」と続けて彼が言うから思わず黙り込む。「だっていつかは結婚するから」 そう言われて思わず吹き出す。そんなこと言ってどうせ来年には別れてるよばーか!と心の中で毒づきながら、「もう眠いなら寝なね」と寝かしつけた。
 
 
あの日からもう2年が過ぎた。今もまだ私たちは付き合っている。私は彼の底抜けに明るい考え方に今も昔も変わらず縋り続けている。これからもきっと彼の手を大事に繋ぎとめる、いつか彼が私の手を振り払う時が来るまで。