空中ブランコ

 
育ててもらって早20年が経つが、どれだけ年を重ねようと母と妙に距離があると感じることが多い。その理由の大きな一つとして、恋愛について踏み込んで話ができなかったことがあるのではないかと思っている。
 
 
思い返せば、小学五年生くらいの頃。絵を描くのにハマっていた私は、少女マンガを読みながら、それらの絵柄を真似て描いていた。中にはちょっとした恋愛描写、例えば手をつなぐ、頰にキスをするといったような描写もあった。それをそのまま真似て描き、ミニマンガのようにしていた。悪いことをしていたつもりはなかったけど、そのちょっとした恋愛描写が母の逆鱗に触れたらしい。
 
「あんたちょっと変な絵描いてない?」
「なんの絵?」
「男の子と女の子が手繋いでるみたいな絵」
「ああ」
「ああいういやらしい絵を描くのはこれからもうやめなさい。あとあの絵は捨てておいたから」
 
 
手をつなぐことや頰にキスなど、可愛いものではないかと今では思う。スヌーピーだってルーシーの頰にキスをするし、 チャーリーとは手を繋いだり抱きついたりする。小学校高学年の女の子がそういった絵を描いていても変ではないはず。それだけ『性的なもの』や「恋愛」に対して異常なまでに潔癖な我が家が見えてくる。
 
 
好きな人なんて正直幼稚園の頃からいたし、恋人という存在に憧れはじめたのも小学生に入ってすぐの頃だ。しかしそういった話をしたらきっと母はいやらしい娘だと私を見てくるだろう。そういった気持ちから、家の中で恋愛にまつわる話をしたことは一度だってなかった。はじめて話をしたのが、現在付き合ってる彼の話だ。それも「真面目に付き合っている男性がいる」というような報告。しかしそのときも嫌悪感をあらわにした顔をされたことを、これから私は一生忘れられないのだろうと思う。
 
 
 
恋愛や性的なものに対して異様に嫌悪感を見せる母の影響もあって、私自身も高校生半ばくらいまでは性的なものに対して異様に厳しい目を向けていた。せっかく恋愛の相談を私にしてくれた友達に対しても、「鋼鉄のパンツでありなさい!」といったような過激派処女厨だった私にさぞ興ざめしたことであろう。
 
 
高校半ばを過ぎて、付き合ってる彼ともそういった話になる。性に対して無知な割に異様に嫌悪感だけあらわす私に随分手を焼いたはずだ。「色んな人に話を聞いて、少し学んだら?」とまで言われたことがある。渋々友達や色々な人に話を聞くと、そこには自由で多種多様な性のコミュニケーションのあり方があった。様々な価値観に触れて少しずつほぐれていった私の考え方は、次第に性教育の分野にまで頭が回るようになる。
 
 
性教育の分野の中では、互いを思いやる大きな試練でもある恋愛と性の結びつきについて少しでも教育の中で触れておくべきだという主張がある。そんな中で、性的なコミュニケーションは絶対ダメ!汚い!といったような意見を見かけたことはない。全て性行為はするものありきで話が進んでいくのだ。ここまできてようやく私は”許された”ようでホッとしたことを昨日のことのように思い出す。
 
 
そうして高3になり、AO入試の試験科目グループディスカッションのテーマで「コンドームを生徒に配布する学校についてどう考えるか」に当たった時、素直に賛成という意見を出すことができた。あの頃から2年経った今となってもおそらく同じ意見で変わりはない。反対意見の中には「コンドームを配布するということは性行為を容認していることになる」というものもあって、まさしく昔の私が言いそうな台詞だなと懐かしくも思えてしまうが、今の私は反論だって出来る。
 
 
もちろんセックスしろしろ!と学校側が催促するのはとんちんかんな話だか、無理強いして「してはいけないもの」とする必要もない。年頃になれば恋を覚えて、本能的な性欲に突き動かされてエッチなことをすることもある。それらはなんらおかしいことではない。その根源を断つよりも、どういう姿勢で、切り離すことのできない性へ向き合うかを考えさせるべきなのだろう。そしてそれらは、子供と関わる一大人として、一教育者として、自らも考えていくべきことなのだろう。
 
 
 
ついこの間、夕飯時に母に「我が家はなんだか他の家に比べて恋愛に厳しいよね」と爆弾を投げかけた。すると、「私が育った家では恋愛なんて犯罪に近いことだった」と打ち明けてくれた。「それがおかしいことだなんて思ったことは一度もない、これが普通だと思っていたから」とも。きっと彼女は彼女なりに育ってきた教育を常識として、私に向けてきただけなのだろう。そういったことを常識として、疑うことさえしなかった母を呪うほど私も馬鹿ではない。でも、わがままをいうなら、年頃になって恋を覚えた私そのものを受け入れて欲しかった。真剣に付き合ってる彼氏とのことも、まるっきり信じて応援していて欲しかった。信じていて欲しかった。
 
 
 
いつか私に子供ができたとして、または、養護教諭になったとき、いつか関わる子供達には伝えたいことがある。誰かを好きになって、想いが伝わって2人で歩き出すとき、どこかでぶつかるかもしれない互いの性衝動のこと、駄目なことだと否定して逃げないでみてほしい。受け入れられないこともたくさんあるとおもうし、難しい部分ではあるけど、ふたりでみつけた答えそのものを信じて認めてあげる心だけは忘れないでいたい
 
 
勿論ここまで何不自由なく育ててくれた両親には頭が上がらないが、家庭内で偏った意識があったのは確かだ。それでも私は広くいろいろなことを見ることができる。できるようになったのだ。それはつまり、多くの人と関わることができた証でもあるのだろう。
 
これから先、私はたくさんの人と出会う。多種多様な価値観に触れて、個々に違うものを持ちながらも共生していくことを知る。どんな時であっても私は何にも縛られないでいられる。「恋愛や性的なものはすべて犯罪」だなんて誰にも思わせない。私だって思う日はもうこない。
 
 
それだけのはなし、気づくまでに20年かかってしまったけど、なんてことはない、これからだってたくさんのことに気づいて、また日々を過ごしていく。近しい人に偏った価値観を持っている人がいたからといって、私がそうである必要は1ミリもない。もっといろいろなものをみて知りたいと、強く思う。