うだうだ考えてた話

 
 
友人Aの恋愛模様を「共依存だね」と切り捨てた友人Bの無表情な顔が、なぜか頭に鮮明に残っている。
 
 
思春期の女子はどこかに寂しさを抱いてしまうものなのだという。そういった中で発展したSNSによる昨今の犯罪件数は明らかに増加傾向ではある。思春期を迎えた女子の、恋愛に対する姿勢も特有の寂しさが反映されてるようにも思う。私も例外ではない。
 
 
苦しくてしんどい時だって一人でどうにか乗り切ってきたから今でも生きている。それでいても、一度寄りかかることができる相手を見つけてしまうと、もう戻れないと感じてしまうのはなぜだろう。今までずっと一人だったのに?悩まなくてもよかったようなことで悩んでは泣いてた高校時代を思うと、損をしたのか学びを得たのか…と両極端な意見が頭を飛び交う。
 
 
 
 
独占欲や、この人がいないと生きていけないと思ってもらうことはどこかで嬉しいとも思うけれど、とても一時的なもののような気がする。きっとその対象は何かに代用できる。依存する対象は別に何だっていいのだろう。”君じゃなきゃ〜” や ”あなたでないと〜”に夢は見ない。
 
 
 
 
昔はがんじがらめにしてほしいと思っていたこともあったが、ねこやまぴ(久しぶりに使った名称)はそういったタイプでもない。ゆらゆらしていて、つかみどころのない。彼が仕事を始めてからはより一層執着心というものを感じたことはない。それを寂しいとも最近は思わない。大切にしてくれてるだとかそういうことだってどうでもよくて、彼が彼なりに私に誠実に向き合ってくれてるかどうかだけが、わかるならそれでいいとも思う。
 
 
 
付き合って2ヶ月の彼氏がいる友達とこの間ご飯に行った時、「彼のことがわからないんだよねえ、まだ2ヶ月だからかあ」と言っていたのを聞いて思わず笑ってしまいそうになった。私は5年付き合っても相手のことをさほど理解してるわけでもないからだ。結局、もとは他人同士で、毎日一緒にいるわけでもないからそこは仕方ないで片付けさせてもらおう。
 
 
 
わからないところだらけだから、これからももっともっといろんな一面を知っていきたい。年を食って、少しずつ成長していく彼の横顔をこれからも見ていたい。
 
 
 
これから先は、連絡だって会うことだって強制し合わない関係でいたい。友達のような。久しぶりに会ったってあいも変わらず。この人、垂れ目だから、笑うとなんだかだらしないな。そんなところはずっと変わらないんだな。そんな風に。
 
 
 
 
いつかは別れてしまうこと、それはもう付き合った当初から考えていて、寂しくて悲しいことだと思うけど、年老いた頃に思い出して吹き出してしまえるくらいになればそれでいい。むやみやたらに恐れる必要などないのかもしれない。今は、5年前からブレることなく、「生涯を共にする」と一貫して言い続ける彼の、止まり木のような存在であれたらと、そう強く思う。