弱音

 

毎日朝から晩までご苦労様です、って感じ。だからと言って何か身になることをしている気もしない。疲れているのに夜は眠れない。誰とも関わりたくないのに、明日もまた学校の誰かと関わらなければならない重圧に押しつぶされそうになりながら、不安を抱えながら、電源が切れるように眠りに落ちる。朝は起きづらい。全てを投げ出したいと思いながら起きる。教室ではクラスメイトが問題を出し合ってる。「ピグマリオン効果とはなんでしょう?」は?なにそれ知らないんだけど…私の知らないこと覚えていかないでよ、置いていかないでよ。

 

 

希望を言葉にすることも嫌いではない、けど言葉にすれば叶うものでは決してない。公務員で、教員で、でも教壇に立つことのない、(楽そうで)、安定しているから養護教諭になりたいと思っています、って子が割といるらしい。私はきっとその子達よりも養護教諭にかけている熱意は十分にあるはず。でも彼女たちのすごいところは、熱意がなくたってせっせと勉強をしているところ。

 

 

養護教諭になりたかったのか、わからなくなってしまう日が時折ある。本当になりたかったのか。私はなにがしたかったのか。わからなくなると勉強なんて全て投げ出してしまいがち。私は熱意と学習意欲が密接に結びついているようなのだ。なりたくないものの勉強はしたくない。我儘なのかもしれない。

 

 

 

養護教諭になりたい気持ちは皆と一緒。そこにどんな気持ちをかけていようが受かる人は受かる。受からない人は受からない。そんなものは結局神のみぞ知る。でも努力が実を結ぶ、とは断言できないけど、努力した者にだけ文句を言える権利があるのだと思う。今の私には到底文句は言えない。人の粗ばかり見ていれば、自分の粗を見ずに済む。そういうこと。

 

 

 

いつも誰かと比べて苦しくなって、「あの子に追いつけるかな」「あの子のようになれるかな」と思ってばかりいる。私は私で必死なのである。でも、やっぱり、あの子にもあの子にもなれないけど、”私”はちゃんと”私”になれる。1人で悩んだ時間も、ちっぽけな事で泣いた時間も、誰かと過ごした時間も、誰かが私と過ごした時間も、誰かにはない、私だけのものなのである。それが私を形づくるもの、個性なんだと思う。

 

 

私にしかない悪いところも山ほどあるけど、反面私には私なりの良いところも沢山ある。他人の良いところを見つけるのが得意なのだけれど、自分のこととなるとてんで駄目なのね。でもちゃんと見つけられる気がする。これは自信ってやつ。

 

 

 

♩悲しみが消えるというなら、喜びだってそういうものだろう

 

なんだって無限ではない、いつか消えてしまうものや終わってしまうものの中で生きる私もまた、いつか終わりを迎える。今は苦しくて、望む職へ就くためにここからまた何年もかかって苦しむのかもしれない、でもこれもまた限りがある。私はそれをよくわかっている。だからちゃんと、胸張って生きていたらいいんじゃない。生きていて損はないよ。

 

 

拝啓中学生の頃の私へ。